青二才氏の文章を一読して意味が取れるようにする方法

 下のまとめをきっかけに、青二才という人の文章を初めて読んだ。面白かった。しかし彼の文章は恐るべき悪文だ。下のまとめを読むと、悪文がきっかけで対人関係に影響を与えるほどの悪文だということがわかる。

青二才氏ついにTM2502氏に愛想を尽かされ九月までブロックされることに - Togetter
http://togetter.com/li/454169


こちらがまとめの元となった青二才氏のエントリ。

体罰と「想像力」と「公共性」と… - とある青二才の斜方前進
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20130209/1360386048


 ひとつのエントリだけを読んだ感想で失礼かもしれないけれど、青二才氏のブログは、悪文で書くことに意味があると思う。その悪文ぶりをことさら批判される青二才氏だが、もし文章が読みやすくなったり、シンプルな論理構造になったりしたら、途端に魅力が消えてしまうだろう。


 悪文はエンターテイメントにもなり得る。悪文を排除しようとするのは誤りだ。悪文それ自体の価値を認め、鑑賞すれば、自ずと文章力は上がっていくのではないか。


 ちなみにこれは本ブログの記事第一号となる。このブログでは、悪文を紹介し、その文章のどこが悪いのか、どうすれば読みやすくなるのかを考えていこうと思う。


 基本的に、本ブログでは取り上げる悪文をバカにする姿勢はとらない。ましてやそれを書いた人を貶めるようなことはしないつもりだ。人は誰しも悪文を書く。悪文を書かないのは、文を書かないやつだけだ。


 こうした立場から、まずは青二才氏の文章から、最初の悪文を拾いたい。


■今日の悪文

その上で、体罰をしてもいい相手、ダメな相手をざっくりと述べる。端的にいえば、「大人が【子供】(わざと供】という漢字で【子供】)に対して行う教育として体罰はその選択肢に入れられるべき」であると私は考える。


 実にすばらしい悪文だ。一読して意味が取れた人は、その読解力を誇っていい。悪文は書こうと思っても容易に書けるものではないので、作者には感謝をしなくてはならない。
 ともかく、この文章の悪いところを考えてみよう。


1.カッコ内カッコ

 カッコの内側にカッコを入れるのは、どうしても必要な場合でなければ、避けたほうがよいだろう。後ろに移動できるなら移動させるべきだ。実際にカッコを整理するとこうなる。ちなみに【】は一般的でないので、二重カギ括弧に変更した。

その上で、体罰をしてもいい相手、ダメな相手をざっくりと述べる。端的にいえば、「大人が『子供』に対して行う教育として体罰はその選択肢に入れられるべき」であると私は考える。(わざと『供』という漢字を使って『子供』と書いている)


2.前の文とのつながり

 カッコ内カッコを外に出すだけでも、だいぶ読みやすくなったと思う。とりあえず後ろの文の意味は取れるようになっただろう。しかし、前後の文を続けて読むと、まだ意味がわからない。前後の文の接続がうまくいっていないのだ。


 前の文で「体罰をしてもいい相手、ダメな相手をざっくりと述べる」と言っているからには、次の文で「いい相手」と「ダメな相手」が出てくると思うのが人情というものだ。しかし悪文はこちらの期待を斟酌してくれない。


 ふつうに読むと、「端的に言えば〜」以下の文では「体罰は限定的に容認」という立場を述べているように思える。


 こう読むと、この文の前の段落で自分の基本的な立場を述べているので、同じ主張がくり返されているように感じる。しかし恐らく作者はくり返しをしようとしたのではあるまい。


 やはりここは「体罰をしてもいい相手とダメな相手」について述べているのだと考えるのがスジだ。この理解に立って文章を書き換えるとこうなる。

その上で、体罰をしてもいい相手、ダメな相手をざっくりと述べる。体罰をしてもいい相手とは、『子供』に限られるのだ。教育が必要な『子供』以外に体罰を加えてはいけない。(わざと『供』という漢字を使って『子供』と書いているのにご注意願いたい)


 もはや後ろの文が元のかたちをとどめなくなってしまった。実に不本意ではあるが、もしここの構造を変えてしまうと全体の文脈を書き換えなくてはならない。


 作者の想定する文脈自体はシンプルなもので、「体罰を行ってもよい相手は限定される→その相手とはこういう存在」という流れで語りたいわけだ。しかしひとつの悪文が挿入されたがために、このシンプルな文脈が奇怪な構造に変換されて、容易に理解しがたいものとなっている。悪文の効果を知るよい例文だと言える。


 かなり元の文から変わってしまったが、この文であれば、該当箇所をまるまる入れ替えても問題無くつながるはずだ。文字数は16文字ほど増えてしまったが、どうしても誌面の都合で減らす必要があれば、以下のように多少削ることもできる。

その上で、体罰をしてもいい相手、ダメな相手をざっくりと述べる。体罰を加えてもいい相手とは、『子供』だけなのだ。『子供』以外に体罰を加えてはいけない。(わざと『供』という漢字を使って『子供』と書いている)


 元の文と差し替え可能な文ができあがったところで、今日の悪文を提供してくれた青二才氏に感謝の意を示し、今回の悪文紹介を終わろうと思う。


 青二才氏の文章は悪文だが、その悪文であるところに魅力がある。古来、意味の取りやすい文章は文学的価値が薄いものだ。「読める日本語を書け」との声に負けることなく、自らのスタイルを貫いてほしい。多謝。